子供の頃の恋は、子供だまし。
恋愛ごっこ。
そんな風に大人は笑うかもしれませんが、きっとそんなことはないのです。
いつの時代も誰かを好きになるという事は、本気で悩んだり苦しんだり心が躍ったり、色々な感情をダイレクトに味わうのだと思います。
小学生だって中学生だって同じ。
ただ、どうしたら良いのか方法が分からないから、とても不恰好に見えたりおかしく見えるのだと思います。
私も、そんな思い出すと恥ずかしくなってしまうような恋の記憶があります。
中学生の時に好きになった男性は、それから10年ずっと好きでした。
どうしてそんなに彼にハマってしまったのか、それは自分でよく分かっています。
その思いは、実ることはとうとうありませんでしたが、私にとっては凄く幸せな物だったと確信しています。
ただ、本当に不器用で確かに笑ってしまうような表現方法だったと思います。
今どこでどうしているのか、私は全く分かりません。
風のウワサで早く結婚したと耳にしたのですが、果たしてそれが本当かどうか確かめる術もありません。
つまらない私の中学生時代を、美しく深い物に彩ってくれたのは紛れもない彼なのです。
誰よりも早く結婚すると周りから言われていた私。
ポコポコとたくさん子供を産むであろうと、みんなから言われていた私。
しかし、その勝手なイメージとは全く異なり、30歳になってから結婚して、子供も一人しか恵まれませんでした。
本当はもっと欲しかったのですが、神様は答えてはくれなかったのです。
子供の頃の淡い理想の結婚生活とは程遠いリアルな現在。
そこで今、私は生きています。
子供のころになりたかったもの
子供のころに、将来どんな職業に付きたいかを少なからず、大人から言わされていたように思う。
自分が何と答えていたかは、自分自身ほとんど覚えていない。
だが、まわりの人たちが覚えていたり、思い出の文集のようなものから見つけ出せることがある。
幼稚園の姪っ子に、何になりたいかを聞いたところ、幼稚園の先生になりたいと答えた。
そして、そのために彼女は、ピアノを一生懸命練習していた。
幼いながらも、ピアノを弾けることが幼稚園の先生の条件だと思い込んでいたのだと思う。
その姪っ子は、小学生になり、今は、小学校の先生になりたいのだという。
幼稚園よりも、しっかりとしているからだそうだ。
自分のことを冷静に見つめ、幼稚園のころよりも、今の自分の方が、大人は教えやすいと思うと話してくれた。
微妙な回答だと感じた。
たしかに、現実的な回答ではあったが、決して夢のない話ではない。
彼女は、人に教えることに対して、大きな夢と憧れを持っていて、それを実現できる仕事を選んでいるに過ぎない。
とっても現実的な話ではあるが、彼女の思いは真剣なのである。
そう考えると、自分で、幼いころになにになりたかったを答えられない自分が少し恥ずかしくなる。
どうして思い出せないのだろうと思う。
なんとなく、そうだったなと思う仕事はあるが、それが本当に情熱をもってなりたかったものなのかは、かなり疑問に思う。
それでも、その時は何らかの努力はしていたはずなので、それを信じることにしよう。