娘の通う幼稚園では、お母さんたちが参加できるボランティアのお仕事がありました。
もちろん、参加するのも参加しないのも自由なボランティアグループのようなものだったのですが、他の係りなどを仕事でお手伝いすることのできなかった私は、仕事の休みの日を選べるこのボランティアに参加していました。
このボランティアのお仕事も種類がいくつかあって、私は老人ホームにお手伝いに行っていました。
近所の老人ホームでかなり大きなところだったのですが、私たちはそこへ行って朝の寝具替えのお手伝いをしていました。
初めての時にはホームの方とペアになって教えてもらいながらやるのですが、その後はお母さん同士がペアになって進めていきます。
いつもなかなかゆっくり話すことができないお母さんたちとおしゃべりをしながらのお仕事だったので、ボランティアといえども楽しい時間でした。
ほんの数時間のお手伝いで、とっても感謝されるのは申し訳ない気持ちでした。
けれども、ホームの人はいつも一人でいくつもの部屋を変えていかないといけないので大変で、腰も痛くなってしまうので、手伝ってくれるととっても助かると話してくれました。
ほんの少しでも人の役に立てるお仕事ができたのは、とってもいい経験となっています。
子どもの卒園と共にグループを卒業してしまいましたが、またこのような機会をいただけたら、ぜひ参加したいとおもっています。
そして、その体験を子供にも話してあげたいです。
みんなで支え合いながら生きている
何でもかんでも上手く行っている時などは、このままこれからも何の問題無くスムーズに行くと思いがちです。
その為、他人のことまで考える気遣いを忘れてしまったり、傲慢になりやすいかもしれません。
当たり前のことですが、この世はみんなで支え合って許しあって生きているのです。
自分がした良いことはしっかり覚えているのに、誰かにして頂いたことや気遣いに気が付かずにいる方も中にはいるかもしれません。
自分が気が付いていないだけで、本当は色々やってもらっていることもあるものです。
そう言う私も、自分の成功は100パーセント自分の頑張りだけで成しえたことだと信じていた時があります。
今にして思えば世間知らずであり、何より誰かの為に見返りを求めず行動するという発想が全くない人間でした。
ですから、どこかで誰かがボランティアで色んなことをしてくれているということに、全然気が付かなかったのです。
ですから、自分がやっている事や努力だけをアピールして、そして自慢していたのです。
20代の頃は、そんなまるで深みの無い人間でした。
でも今は違います。
自分が知らない所で、様々な人たちが頑張ってくれていることを知っています。
道路が綺麗なのも、朝早く起きてゴミを拾ってくれる人がいたり草むしりをして下さる方がいるからです。
そうやって支えられて、やらなくても良いと許されて来たことで、自分も何かお役に立ちたいと純粋に思える人間になれました。
これと言って何の特技もない私ですが、何かの集まりやボランティアで私の姿を見て喜んでくれる人がいるので、もう少し頑張ってみようと思えているのです