ソーラン節の思い出

運動会や体育祭で必ずある、集団演技というもの。
皆で同じ演技をすることで、協調性を養おうという意図なのか、その真意の程は分からないけれども、運動会等の練習で最も多くのコマ数を割かれるのがこれだ。

私の通っていた小学校には、伝統で6年生はソーラン節を踊ることになっていた。
別に猟師町でもなんでもないけれども、伝統であった。
よくよく聞いてみると、日本各地でソーラン節を踊るところはあるようである。
ヨサコイと並んで二大巨頭である。

そのソーラン節を踊るにあたっての事前教育として、生徒達は体育館に集合させられ、そこでスクリーンにてスケトウダラ漁の模様を学ばされるのが、これまたわが校の伝統行事となっていた。
スケトウダラ漁の模様をうたったのがソーラン節であるらしい。
その心境をより鮮明に感じてもらおう、という主旨のようだった。

でも小学生の私には、その心持とソーラン節を踊ることを結びつけるのは難しかった。
漁師というものを身近に感じたこともなく育ってきたし、そういう労働の大変さや悲しみ、喜びなんてものを理解するにはまだまだ幼すぎたからだ。

それよりも、スケトウダラの干物は一体どういう味がするのだろうということばっかり終始考えていた。
先生達のせっかくの企画も台無しである。

とりあえず、どの道我々生徒達は、体育の先生のスパルタ教育によってソーラン節の踊りを叩き込まれた。
事前教育を行って漁師の心情を理解する必要があったのか定かでないくらい、とりあえず練習させられた。
それこそ他の授業までもつぶして。
結果として、私は今でもそのソーラン節踊りを覚えているが、本物のソーラン節というのが何なのか、今をもってわかっていないのである。