不公平や理不尽に苦しむ

理不尽なことがあると、どうしても受け入れられなくて苦しみます。
誰かに本当のことを分かって欲しいと思ったり、誤解を解きたいと思ったり。
誰かがわざとそんな風にしている時もあれば、理不尽をもたらしている本人もそれに気が付いていない事さえあります。

だから、人間の正解はとても複雑で大変だなと思います。
恐らくみんな、そんな言うに言われない想いを胸に秘めて暮らしているのでしょう。
そう思うと、とても切なくなってしまいます。
何かあったら、必ず両者の話しを聞いてから判断できる人でありたいと思います。
そこに本当に行き違いや誤解が無いかどうかを判断してから、口を開きたいと思うのです。
その為には、いつも冷静な心でいなければなりません。
分かっていても、それが子供の事だったり大切な人からの話しであれば、すぐにそれだけを聞いて判断してしまう。
でも、それでは不公平や理不尽が生まれてしまう危険があるのです。
一度でも、そんな悔しい経験や悲しみの涙を流したことがある人は、きっとそんなことはしないと思います。
というよりも、できないと思います。
自分と同じように辛い思いをする人を、また生み出してしまうかもしれないから。
少なくても、私はそうです。
私は、必ず両者の話しを聞いてから意見するようにしています。
又は、自分で経験したことしか信じません。
一方的な考えや捉え方だけで判断してはいけない。
特に教育者の方には、切に願います。
それで傷つく子供もいるかもしれないのです。
生きるという事は、修行のようなものですね。
一体どこに向かっているのでしょうか。

自分だけが辛いわけじゃない

心に余裕がないとき、「どうして自分ばかり」と思ってしまうことがあります。
「どうして自分ばかりこんなに頑張っているんだ」と思ってしまうのです。
何かに努力して打ち込んでいるとき、心に余裕がなくなりがちですよね。
また、困難に向かっているときも、心に余裕などなくなります。

私は、仕事の人間関係がうまくいかない時期、本当に辛い日々を送っていました。
心に余裕がなく、仕事もあまりうまくできませんでした。
休日も、ついつい仕事のことを考えてしまい、頭をリセットできなかったのです。
しかしながら、ある日、会社帰りの電車の中で、会社員同士が職場の上司の愚痴を言っているのが聞こえました。
どうやら、とても理不尽な要求ばかりしてくる上司らしいのです。
ああ、みんな何かしらしがらみがあるのだなぁ、と感じました。
当たり前のことなのに、自分だけが辛い状況なんだと勘違いしてしまっていたのです。
周りの人を見てみると、カフェやコンビニ、電車の中など、あらゆるところで仕事の愚痴が聞こえてきました。
仕事をしている以上、人間関係だけでなく、様々な悩みがあるんだよね、みんな大変なんだ、と自分の中で何かが変わりました。
皆、そんな状況の中で、頑張っているのです。
なんとか状況を変えようと頑張っているのか、その中でどう上手に立ちまわろうか頑張っているのか、そんなことは分かりません。
でも、一生懸命人生を生きていれば、必ず何か困難なことに出会うでしょう。
たとえ、電車に乗り合わせた会社員の人たちが、全く知らない人だったとしても、ある意味で、仲間なんだと思いました。
必死に生きている姿勢は、同じだからです。
そのことに気付くと、人生が少しだけ楽になりました。