電車内でも歩行中でも人とぶつかったらすみません、人の間を通りたくてもすみません、便利なこの5文字が言えない人が多い。
私も彼らと同じ日本人だし、言えない感覚はわかるのだが、ほんのちょっとの一言、言ってはくれないだろうか。
それだけで気分が違う。
「すみません」だけでも「通ります」でもいい、なぜ発することができない人が多いのだろうか。
アメリカ人なら言うだろう。
見知らぬ人にだって話しかけてもいいはずだ。
無言で人の隙間を押しのけて進んで行くような人には皆少なからず不満を抱いている。
そこに一言があるかないかで周りの人間の反応は大分違うはずだ。
さて、私は日本人相手にはそういうことを言える人間なのだが、外国人相手にも同様にできるかと言ったらそうではない。
少し躊躇してしまうことがある。
人のことを言っておいてこれである。
一言言えない日本人と見知らぬ人とも目を合わせて会話するアメリカ人がいるとして、私はその中間だろうか。
中途半端だ。
きっちり目を合わせて誰に対しても恐れず会話ができる日というのは来るのだろうか。
私もようやく社会に出たことで、だんだんとビジネス上の相手やお客さんなど初対面でもきちんと話さなければいけないようになった。
だが、きちんと準備したときとか自信がある商品があるとき以外はやっぱり弱々しくなってしまう。
面と向かって話すときにそうなってしまうのは昔からである。
ただ前述のような街中で出会う全く知らない人達に対しては、普段から飲食店やコンビニの店員さんにも話しかけるような人を演じることで自分を騙し「すみません」「通ります」を言えるようにしているのだ。
謝罪
先輩からお礼と謝罪は2回してちょうど良いと言われたことがある。
これは、お礼と謝罪を言うべきことが発生したあとに2回ということだ。
例えば食事をごちそうになったとき、お店を出るときにお礼をしたら、帰り際に1回、翌日に昨日の礼として一回。
これは最低限必要だという。
そして出来るひとはプラス1回、次にお会いしたときに、「先日はありがとうございました!あのときは…」と話を続けると、この後のビジネスの会話もサクサクと行くのだ。
潤滑油として使えるありがとうは2回は必須。
そして謝罪も2回は最低必要。
当然謝るべきところではするが、そのあと、「今日はすみませんでした。」で一回と、翌日「昨日はご迷惑をおかけして…」と連絡する。
このときに、次の議題について話を進めなければならないときの、話し出すきっかけともなることができる。
重ねて丁寧な謝罪をすることで、「もういいからさ、次は気を付けて」と向こうの感情もある程度抑えることができるのだという。
この話を聞いてから心がけているが、謝罪すべきことがおこったときは、2回も気まずい空気を感じるのが嫌で、顔を合わせたくないと思っていたので、謝罪を完了させるのにだいぶ時間がかかってしまった。
しかし、偶然を装って顔を合わせる機会がなかった、を繰り返していては、ずっと先延ばしにするだけだ。
きちんとお時間を取ってもらって、2回目の謝罪をしたら、あっさりと「うん、もういいよ」と言ってくださった。
お礼のときは、本当に本心からお礼を言いたい気分なので、2回でも多いとは思わない。
謝罪は先延ばしにしてはいけないと痛感したのを思い出してしまった。