悪ガキ、いたずらっこ、番長、は古い言い方だろうか。
子供の頃に必ずと言っていいほどクラスに1人はいた存在だ。
学園モノだったり、子供向けの読み物にもそういった存在というのは必ずいる。
なぜかといえば、彼らは受けてであるこちらからすると魅力的に映る部分があるのだ。
現実問題、ある年齢を境にして、少し悪ぶった男の子が女子からモテるという現象がおこったりもする。
確かに、ただ単に真面目な人より少しはそういう部分を持っていた方のが魅力的に映るのだろう。
ちなみに、私も嫌いではないが、行き過ぎた人は勘弁願いたいところだ。
され、いたずらっこなど悪ガキは、たいてい知恵を働かせているところがある。
いわゆる悪知恵というやつだ。
某国民的TV番組なんかでも、主人公をいじめる悪ガキがいるが、彼は参謀と呼べる相方の存在が、悪知恵を働かせている。
注目すべきは実は彼の方なのではないかとさえ思える。
全面に出さないのはおそらく彼の強かさから来るのだろう。
ボスの腰巾着でいることで、安寧の地位を維持しているのだ。
なんとも小憎たらしいが、彼のいたずらへの知識というのは素晴らしい物がある。
決して褒められたものではないけれど、将来的に成功するには、ここまで行かなくとも強かさというのは必要なものだと思う。
真面目な人間が損をすると言われて久しい。
もちろん、真面目であることは良いこととされる。
しかし、時には図々しさが生きていく上では必要だと思う。
ただ、単なる性悪になっては元も子もないので、適度なずる賢さ、つまり頭の回転の早さが必要とされるのではないだろうか。
子供のいたずら
今までの人生を振り返ってみると、昔に比べて今は大分おとなしくなったなぁ、と思います。
学生の時はやんちゃばかりして、いつも落ち着きなく動き回っていました。
私がやんちゃになったのは小学生の時からです。
毎日学校が終わると友達と遊びに行って、色々なことをしました。
今だから告白できるような、ちょっとしたいたずらもたくさんしました。
例えば、近所のマンションに忍び込んで、エントランスで鬼ごっこをしたり、アパートの鍵なしポストを勝手に開けて中身を見たりしていました。
大声で騒がないようにしよう、だとか、中身は見るだけでいじっちゃ駄目、とか、変なところだけ真面目な決まりを作って、こそこそといたずらをしていました。
悪さをした分、よく怒られてもいましたが、それでも懲りずに色々と新しい遊びを考え出していました。
学校でも、休み時間になる度に渡り廊下に隠れて友達とお菓子を食べたり、砂場に落とし穴を掘って担任の先生を落としたりしていました。
毎日毎日そんなことばかりしていたのに、周りの大人や先生達はいつも笑って許してくれました。
今思うと、本当に心の広い方ばかりだったと思います。
大人になった今は、そういう大人達の有り難さがよく分かります。
かつてやんちゃをしていたからこそ、大人になってからは落ち着きを持つことが出来たのだと思います。
昨今、ちょっとしたやんちゃをしただけで親に激しく怒られたり、止められたりしている小さい子をよく見かけます。
しかし、子供がのびのびと育つにはそれでは駄目なのではないかな、と思います。
私が親になった時は、私の周りにかつて居た大人達の様に、海のように広い心で子供達を受け入れてあげたいものです。